前言

實用而美麗的菊炭

大約500年前,千利休等茶人發現了菊炭作為「茶道用炭」的價值。長久以來,茶人和製炭師們所追求的美麗木炭,其要求如下:

--切面如菊花般放射狀裂開,裂紋纖細均勻。
--燒製後的炭的樹皮薄而緊密附著,樹皮光滑如柳樹外皮。
--燃燒時有鋸齒橡木的香氣。
--燒完後,炭灰的形狀不散,像一朵白色的菊花。

美麗菊炭所應具備的的這些條件,不單單追求外表的美觀,也是淬鍊其實用性後,而為炭帶來的「美」。裂紋越纖細 ,炭就越透氣易燃,樹皮越薄和緊密,就比較不會爆炭。此外,鋸齒橡木所具有的原木芳香氣體,有助於點火和燃燒。

菊炭融合了製炭師的真誠手工藝和美感,與茶人高雅的審美觀,彼此不矛盾且契合,菊炭既是燃料,也兼具實用性與美感的民藝品。

炭

菊炭の用と美

kikusumi

およそ500年前に千利休などの茶人たちに「茶の湯の湯炭」としての価値を見出された菊炭は、長きにわたり、茶人と炭焼き師たちの手によって、その美しさが追求されてきました。

一、切り口が菊の花のように放射状に割れており、割れ目が繊細で均一である
一、樹皮が薄く、密着しており、樹皮が柳肌のように滑らかである
一、燃焼したときに、ほのかにクヌギの香りがする
一、燃え尽きたあと、白い菊の花のような灰が残る
       

これら、美しい菊炭の条件は、なにも装飾性のみを追求したものではなく、実用性を洗練した結果、炭にもたらされた「美しさ」です。 割れが繊細なほど通気性があり燃えやすく、薄く密着した樹皮であるほど爆ぜにくい。 また、香りをもたらす原木由来のガス成分は、着火や燃焼を助けます。

こうした菊炭師の用途に対する誠実な手仕事と、茶人の洗練された審美眼が矛盾することなく調和した菊炭は、 燃料でありながらも、「用と美」が宿った民藝品といえるでしょう。

茶の湯炭
茶の湯炭
茶の湯炭

講究手法,提昇美麗境界

安靜的茶室裡,傳來木炭燃燒 "啪漆"的聲音,空氣中飄溢著淡淡香氣。不多久,彷彿風掠過松林般的「松風之音」,鐵釜湧出的水蒸氣提醒主人,水已經燒開了,主人聞聲準備打茶。當茶會結束時,爐壇裡的炭,也安靜地化為「白花」般的灰燼。

茶道用炭不僅適宜在室內當燃料使用,它更能滿足視覺、聽覺、嗅覺等五感,在與外界隔絕的茶席中,更能營造出一種「舒放」「轉瞬即逝」的氛圍。大家認為菊炭是「最好的茶道用炭」。

如今,茶道用炭已成為重要的茶道具之一,與茶器、掛軸同樣受到重視,但當初並不具有這樣的價值。從日本開始有飲喝茶習慣時,木炭一直是在室內燒水不可或缺的“燃料”,但它僅只是背後的功臣,並不是用來展示的東西。

一般認為,在16世紀前後,武野紹鴎、千利休等茶人奠定了「侘茶」的樣貌,開始在客人面前展現木炭的使用手法。經得起鑑賞的茶道用炭的評定標準在此時成形。爐壇中木炭的配置方式,處理木炭時的動作和手法,鉅細靡遺地不斷研究炭的“美”的每一個細節。最終完成了「炭点前(炭手前)」,它是非常具有儀式感的點炭手法 。

在關西地區「池田炭」非常有名。但池田不是木炭的生產地,而是連結製造木炭的山里與都市的貿易集散據點,實際生產地是在妙見山麗的「池田奧山」。大阪府能勢町製造的「能勢菊炭」便是其中之一。

美

扱いを極め、
美に昇華させた

A skill refined and sublimated into art

静かな茶室にピチピチと炭が燃える音が聞こえ、ほのかな炭の香りが漂う。やがて、釜の湯がわいたことを知らせる「松風の音」(松林がそよぐような音)が前景に浮き出すと、その報せを受けた亭主が茶を練る。茶席が終わる頃には炭は燃え尽き、灰となり、「白い花」を炉に残すーー

「茶の湯」の湯炭(茶釜にくべる炭)は、室内向けの燃料としてのみ評価されているのではありません。視覚、聴覚、嗅覚などの五感にも訴えかけ、外界と遮断された茶の湯の席に「うつろい」「はかなさ」といった風情を演出するゆえ、菊炭は「茶の湯には最高の炭」とされます。

今でこそ湯炭は茶器や掛け軸などと等しく、茶の湯にとって重要な道具のひとつですが、当初からそのような価値付けがされていたわけではありません。湯炭は、日本に喫茶の習慣がもたらされた頃から、室内で湯をわかすための「燃料」として必需品でしたが、いわゆる「裏」の部分であり、わざわざ見せるようなものではありませんでした。

それが「客人の面前で披露するもの」として捉えられたのは、武野紹鴎や千利休などの茶人が「侘(わび)茶」を確立した16世紀頃からだといわれています。鑑賞に耐えうるような美しい湯炭の基準ができ、炉への配置のしかた、炭を扱う時のふるまいまで、細部に渡って炭に関わる「美しさ」への研究を続け、その成果は「炭点前(炭手前)」という作法にまで結実します。

関西方面では「池田炭」として有名ですが、里山と都市の交易拠点だった池田市を通じて販売されていたためで、実際の生産現場は妙見山麗一帯の「池田奥山」です。 大阪府能勢町でつくる「能勢菊炭」も、そのうちのひとつです。

工藝製造

人類技術與大自然共存的表徵

當冬天來臨,葉子掉光後的橡樹進入冬眠時,製作木炭的工作就正式開始。電鋸的聲音在安靜的能勢山中迴響,工匠們熟練地砍伐橡樹原木。

能勢的橡樹山上樹木茂盛,樹相獨特的「台場橡樹」並列,與原生林的林相完全不一樣。這是因爲杉、檜長成巨樹後,砍伐後便結束它的一生。而台場橡木則是讓它能延續生命成長,砍伐、成長是可以持續反覆循環。

或許是因為樹形歷經寒暑,據說這些令人敬畏又覺得親近的台場橡樹,也因此暱稱它為「老爺」。並列聳立在橡樹山的「老爺」證明了人類的技術與大自然的力量並無矛盾地共存,這也是象徵著能勢製炭傳統的景觀。

山坡上並列的「老爺」守護著能勢町,我們也將介紹能勢町製作木炭的歷史以及能勢町培育出的製炭師的技術。

kiln

人間の技と自然の力が共存した証

菊炭師

冬が訪れ、葉を落としたクヌギが眠りにつくと、炭焼きの仕事が本格化します。静かだった能勢の山にチェーンソーの音が響きだし、職人たちが手際よく、原木のクヌギを伐採していきます。

能勢のクヌギ山には「台場クヌギ」という独特の見た目をした木が並びます。自生の姿とはまったく異なるのは、スギやヒノキなどのように一度だけ伐採して終わりにするのではなく、木を活かしながら伐採を繰り返すからです。

その貫禄ある樹形からか、親しみと畏敬の念をこめて「オヤジ」とも呼ばれるそうです。「オヤジ」が並ぶクヌギ山は、人間の技術と自然の力が矛盾なく共存してきた証であり、能勢町の炭焼きを象徴するかのような風景です。

山の斜面に並ぶ「オヤジ」たちが見守る能勢町。ここでは、町内の炭焼きの歴史や、そこで育まれた炭焼師の技を紹介します。

kiln work
kiln work
kiln work

炙熱炭窯的嚴酷工作

原木的準備從 12 月開始,一直持續到隔年 4 月, 山櫻花盛開為止。這個時期的橡樹落下葉子, 進入休眠狀態。休眠期的橡樹樹枝沒有多餘的水分,適合拿來燒製成木炭。

採收到的原木放入黏土做成的土窯中燒製。從入窯, 到燒成木炭移出,大約需要14天。

在燒製的過程中,將原木放入窯中,是一項非常辛苦的工作。該過程是在剛燒好的木炭取出後、窯尚未冷卻前,在窯內溫度為攝氏80度 至 100 度時,迅速熟練地放進新的原木。黑暗中,製炭師只依靠頭燈的光,小心翼翼地把木頭緊密有秩序的鋪排好,不留任何縫隙。人在進入高溫的土窯後,最多只能停留20分鐘左右。如果放置原木的動作不細緻、不俐落熟練的話,就無法完成原木入窯。

人一出窯後喝水補充水分,汗水從身上冒出一股遠遠可見的蒸氣。每次燒窯大約將 3 噸重的原木(超過 1000 根原木)放入大窯中再點火燃燒。

craftmanship

灼熱の窯での
過酷作業

菊炭師

12月から始まる原木の調達は、翌年の4月頃、ヤマザクラが咲くまで続きます。この時期のクヌギは、落葉し、活動を休んでいる状態。休眠中のクヌギの枝には無駄な水分がなく、炭にするのに都合がよいのです。

採取した原木は、粘土でできた窯で焼きます。窯入れから炭出しまでにかかる日数はおよそ14日間。

中でも、窯入れはたいへん過酷な作業です。前作の炭を出してすぐ、窯が冷めやらぬうちに行なうので、窯の中は80〜100度。闇のなか、ヘッドライトの光だけを頼りにして、隙間ができないよう、ていねいに原木を敷き詰めていきます。灼熱の窯の中には20分ほどしか入っていられません。繊細かつ、手際よく行わないと、いつまでたっても終わりません。外に出て水分をとるとすぐさま汗が蒸発し、遠目にも見えるほどの湯気が身体から立ちのぼります。この作業を繰り返し、1回の炭焼きにつき、大きな窯ならおよそ3tもの原木(1000本以上)を立て込み、火をつけます。

satoyama
satoyama
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木炭燒製的技巧取決於控溫和掌握燃燒的狀態。溫度上升得太快,樹皮會剝裂,無法成為漂亮的木炭;停火的時間點也要非常注意,太早將火停掉的話,原木燃燒不完全,火停得太晚的話,原木會全部燒成灰。

工匠們為了判別眼睛無法看到的燒窯溫度變化,會仔細觀察煙囪升起的煙霧顏色,藉以判斷窯裡的溫度。窯剛進入燒製過程時,煙霧和含有水分呈現白色,,但隨著窯溫升高,橡木逐漸碳化,煙霧由黑轉成紫色,最後變成透明無色的煙。

如果溫度控制良好,燒製開始後大約14天,就能燒出漂亮的能勢菊炭。

charcoal

炭焼きの技術の巧拙は、温度や燃え方を上手にコントロールできるかどうかで決まります。急激に温度が上がると樹皮が剥離したり、割れたりして、美しい炭にはなりませんし、火を止める際も、早すぎると生焼けに、遅すぎると灰になってしまいます。

職人たちは、目に見えない窯の温度を「みる」ために、煙突から上がる煙の色をよく観察し、ひとつの基準とします。窯焚き直後は水気を含んだ白い煙だったものが、窯の温度が上って原木の炭化が進むにつれ、黒色から紫色へ、そして、透明へと変化します。

温度の駆け引きがうまくいけば、火入れからおよそ14日後には美しい能勢菊炭が焼き上がります。

里山

製作木炭亦是守護山里

位於山林與村落交界的的山里,是人們對自然界的施作,而自然界也會有所反饋,在交互影響的過程中逐漸形成的區域。換句話說,山里是展現人類生活和大自然運作並不互相矛盾的場域。 像能勢這樣的闊葉林,透過人們的持續努力而保持了原來的面貌。若沒有人們的照顧,樹林就會被竹子和灌木所覆蓋,導致其他植物難以生長而成為無人管理的森林。

對於能勢菊炭很重要的橡樹山也是。配合橡樹的再生能力,橡樹每七到八年才取木砍伐一次。 為了讓已經野放成無人管理的橡樹山的橡樹能重新取得原木,我們定時除草整備橡樹山。人類生活和大自然不相互矛盾的資源循環能夠建立起來,製炭的工作才能繼續下去。

製炭也是保護山里。將能勢菊炭傳承給後代,也意味著保護這片山里。

charcoal

炭をつくることは
里山を守ること

kikusumi

satoyama
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山と里の境界にある「里山」は、人が自然に働きかけ、時には働かき返されるなかでつくられてきました。いわば、人間の暮らしと、自然の営みが矛盾しない場所。能勢にあるような広葉樹の森も、人が働き続けることで昔のままの姿を保っています。野放しにしていてはササや低木に覆われ、他の植物が育ちにくい「放置林」となってしまいます。

能勢菊炭に欠かせないクヌギ山も同じです。クヌギが持つ再生力に合わせて7〜8年に1度だけ原木の切り出しす。放置林となってしまったクヌギ山から原木を切り出すために、整備する。人間の暮らしと自然の営みが矛盾しないようなサイクルがあってこそ、炭焼きの仕事が続けられます。

炭を焼くことは、里山を守ること。そして、能勢菊炭を後世に伝えることは、里山を守ることでもあるのです。

父親的話

父親留給我的話

父親晚年從事的木炭燒製工作。雖然他對別人能夠詳盡談起製炭工作,但對家人卻不怎麼提起。只對我說:「製炭工作很辛苦,但一定要延續下去。」

44 歲之前,我一直在鄉公所工作,負責社區發展、活動和區運會的事務。與能勢鄉的居民歡迎來自近鄰城市的人們,讓他們能夠喜歡能勢這個地方。希望增加能勢粉絲的人數。為了達成這樣的目標,我廢寢忘食地賣力工作。

鄉公所的工作讓我學習到,「了解當地」、「重視當地的獨特性」的重要性。 有一天不經意地注意到父親製作的菊炭。這裡能夠燒製菊炭的工匠,連我的父親也算在內,只剩不到幾人。他可能是最後一人了。

菊炭能夠成為完美的傑作,是經過歷史和這個地區的環境所淬煉完成。當我更深入了解菊炭時,也越清楚這是能勢地區所孕育出最有價值的產物。

legacy
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「菊炭」當做茶室的燃料使用已經有500年的歷史,菊炭在茶室裡營造出安穩的氛圍、展現時光的流轉。

支持正宗的日本茶道也就是傳承日本人細膩用心的基本精神。只要持續努力眼前的事,就會有所成就。這15年來,我投入我所有的心力,一直專注於這個目標往前邁進。

我像一名跑者,將充滿歷史的菊炭, 這個接力棒傳給後代繼起者。 一路相伴的朋友漸漸多了。今後如何種植出更優質的原木, 並改善經營方式是我們下一個課題。

我們架設了網站,與世界分享日本製造出的高性能且美麗的菊炭。 希望將這些好評能化為我們持續向前的的力量。

請世界各地的朋友們, 鑑賞日本精心製作的「菊炭」。

有限責任公司 能勢山里創造館 代表
小谷義隆

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父が遺した言葉

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父が晩年取組んだ茶の湯炭。他人には丁寧に語っていたようだが家族には無口な父だった。私にくれた一言「しんどい仕事やけど残さなあかん」。

私が44歳まで勤めた町役場では地域づくりやイベント開催、国体も担当した。町民とともに近隣都市部の人を迎え楽しんでもらう。能勢ファンを増やす。そんなテーマで食事も寝る暇もそっちのけで取り組んだ。

そして大切なことを学んだ。それは「地域を知ること」「地域の個性を大切にすること」。 ふと目にしたのが父が取組む「菊炭」だった。もう職人は府内では父を含み数人でおそらく父が最後になる。

歴史とその土地の環境、いわゆる風土が磨き上げた炭の傑作。菊炭のことを調べるうちに地域が育んできたたいそうな産物であることを知った。

日本人の心遣いを形にした「茶の湯」とともに場の空気をつくり時の移ろいを演出する燃料として500年の歴史を刻んできた「菊炭」。

本物の茶の湯を支えることは日本人の本物の心遣いを支える。目の前のことをやり続けることでその大義が成就する。私は何かにとりつかれたようにこの15年間前だけを見て歩いてきた。

私はこの歴史的生産地の菊炭を後世にバトンをつなぐランナー。ようやく伴奏してくれる仲間も増えてきた。今は良質な原木の育成と経営改善がテーマ。

日本が生んだ高性能であって美しい炭「菊炭」を世界へ発信し多くの人の評価を継続の力にしたいとグローバルサイトを開設した。 世界のみなさんへ日本のこだわりの「菊炭」をご覧ください。

yoshitaka kotani

小谷義隆

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